2009年06月17日

パントマイム(Pantomime)とは、台詞ではなく

パントマイム(Pantomime)とは、台詞ではなく身体や表情で表現する演劇の形態。

パントマイムは大道芸(ストリートパフォーマンス)としても多く見られる表現方法で、実際には無い壁や扉、階段、エスカレータ、ロープ、風船などがあたかもその場に存在するかのように身振り手振りのパフォーマンスで表現する。単にマイムともいうことがある。

「パントマイムをする人」についてはパントマイミスト(Pantomimist)、マイマー(Mimer)、パントマイマー(日本独特の呼称)などと呼ぶ。
更年期障害
映画音楽
アルツハイマー病
オリエンテーリング
関節炎
人間工学
甲状腺疾患
環境工学
タップダンス
機械工学
原始時代
いざ・鎌倉時代
世界の建築
季節のこよみ
月の物語
湯・山梨
外国の物語
果実で美!
オレンジ活用
掃除秘伝


パントマイムの起源は古代ギリシアに遡る。語源は古代ギリシャのミミ(mimi)で、帝政ローマ期にパントミームス(Pantomimus)へ変容したとされる。ただし、このころのパントマイムは、演劇の一演目という扱いで、また今日我々が「パントマイム」という言葉で想像するものよりは、仮面舞踏に近いものであったようだ。 今日我々が見ている「パントマイム」に強い影響を与えたものとして、初期中世イタリアで起こったコメディア・デラルテが挙げられる。今で言う旅芸人の一座であり、ヨーロッパ全土を放浪し大道芸を行った。その影響もあって、ヨーロッパの言語的な壁を乗り越えるために、今で言うパントマイムの技法が洗練されていったとされる。

その後18世紀頃までに、コメディア・デラルテは衰退していく。そののち、コメディア・デラルテの遺産を取り入れ、フランスで道化芝居が発達していった。現在の道化のイメージ、白塗りでちょっととぼけたキャラクターは、この時期のフランスの道化芝居によるものである。その後、時代の流れとともに19世紀後半にはこのような道化芝居も衰退していくが、その流れを取り入れたドゥクルー、ジャン・バローなどが身体技法としてのパントマイムを洗練させてゆく。そして、ドゥクルーの生徒として、マルセル・マルソーが存在した。今日のマイムの大衆化には、彼によるものが大きい。

2009年05月31日

東北工程

中国東北部(旧満州)の歴史研究を目的とする中華人民共和国の国家プロジェクトである。1997年から開始され、2000年以後に研究成果が中国国外のメディアにも公表されるようになった。

その中で高句麗と渤海を中国史の地方政権とした扱いに対して、韓国国内で激しい抗議が発生し、中韓間の外交問題に発展した。

1996年に中国社会科学院において中国東北部・旧満州における歴史研究を重点研究課題とすることが決定された。この研究プロジェクトは東北工程と称され、2002年から研究が本格的に開始された。当初の計画においては2007年2月に全課程が終了する予定となっている。

研究においては、中国国内における高句麗遺跡の調査および整備が行われた。さらに広開土王碑と将軍塚の世界遺産への推薦を行い、2004年7月1日に蘇州で開催された世界遺産委員会において、高句麗前期の都城と古墳が世界遺産に登録された。翌日の新華社通信においては、「高句麗は歴代中国王朝と隷属の関係にあり、中原王朝の管轄にあった地方政権」と報道されている。さらに中国外務省のホームページにおける朝鮮史の項目における高句麗の記述が削除されるなど、中国国内では高句麗を中国史として扱う傾向が強まった。1990年代に出版された書籍[1]などで「高句麗は朝鮮に非ず」という項目を設けるなど、早い時期から高句麗を朝鮮史と切り離した主張も行われていた。

文化大革命による研究の断絶があるものの、中国における高句麗の帰属問題の研究には長い歴史がある。金毓黻は『東北通史』(1941年)の中で高句麗を「東北史を構成する夫餘族の分派であり中華民族の一つ」とする。

一方、北京大学の蔣非非・王小甫教授らが1998年に執筆した『中韓関係史』(社会学科文献出版社〈韓国学叢書〉)では、高句麗を中国王朝に対応する朝鮮史の王朝としており、歴史学科で教材として使用されていた。延世大学東西文化研究院の金佑俊教授は、これが2002年以前までは中国も高句麗史を韓国史と認識していた証拠であるとしている[2]。

中国政府がこのようなプロジェクトを開始させた理由として、冷戦崩壊後に世界各地で顕在化した民族主義が中国国内にも波及するのを防ごうとしたためであるとする意見も存在する。それによると中国の歴史学では、現在の国家体制を重視し、過去に存在した諸民族の国家を中華主義を利用して包摂し、中華民族史としようと目論んでいると主張する者もいる

2000年に入り、韓国のメディアにおいて東北工程の存在とその研究内容が伝えられるようになった。韓国の歴史研究者や政治家は厳しく抗議し、一般人の中でも東北工程に対する激しい抗議活動が行われた。学会においては「中国の高句麗史歪曲対策委員会」が組織され、これを基に「高句麗研究財団」が設立された[4]。
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2006年に入ると新たに渤海および白頭山の「歴史的帰属」にまで問題は拡大した。韓国国内での中国への抗議活動に対して、2004年8月に両国政府間で「歴史解釈の問題が政治争点化することを阻む」との合意が行われた。対中外交を重視する盧武鉉大統領は東北工程は中国政府の公式認識ではないとして長い間公式の抗議を行わなかったが[5]、メディアにおいて政府批判が強まったため、2006年9月ヘルシンキで開催されたASEM首脳会議において、中国の温家宝首相に「学術研究機関次元だとしても両国関係に否定的な影響を及ぼすことがあり得る」との抗議を行った[6]。

このような韓国の韓国内での反発とは対照的に、北朝鮮は全く反応を示していない。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連) の機関紙である朝鮮新報において、「中国が高句麗史を自国史に編入しようとしているのは露骨な歴史歪曲」であると示されていたのが唯一の対応である[

2009年04月27日

ロケット本体(モーターケース)

ロケット本体(モーターケース)が燃焼室を兼ねていて部品数が少ないため、固体燃料ロケットは構造が簡単で安価に製造できる利点があるほか、小型の固体燃料ロケットでは全質量に対する構造質量を低減、すなわち構造効率を向上させることができる。また液体や気体の推進剤と異なり、常温では推進剤が蒸発せず拡散しないため毒性に留意する必要がない。燃料は化学的に比較的安定した性質の物質からなり、製造後の点検がほとんど必要ないまま長期間保管でき、即応性に優れる。

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その一方で、燃焼の制御が難しく、点火後に燃焼の中断や再点火、火力の調整を行うことは原理的に非常に困難である。 そのことがチャレンジャー号爆発事故やブラジルロケット爆発事故の原因だと言われている。

またモーターケースは自身が燃焼室となることから燃焼圧力と温度に耐える必要があり、エンジン部分のみが圧力と温度に耐えればよい液体燃料ロケットに比べて頑丈でなければならず、ある程度以上の大きさの固体燃料ロケットは同規模の液体燃料ロケットに比べて構造効率が悪化する。また燃焼ガスの平均分子量が比較的大きく、液体酸素/液体水素系や液体酸素/炭化水素系の液体燃料ロケットに比べて比推力に劣るが推力の大きなロケットを比較的容易に製造できるほか、推進剤の密度が大きいのでロケット全体のサイズを小さくすることができる。

これらの性質から、固体燃料ロケットは、即応性を重んじる軍用のミサイル、大きな推力で衛星打ち上げロケットの推力を補強するブースター、最終的に衛星を軌道に投入する小型のキックモーターなどに用いられる。ちなみに固体燃料ロケットは、ロケットエンジンよりもロケットモーターと呼ばれることのほうが一般的である。

全長が長くなると管内での流路抵抗が増えるので望ましくない。燃料の断面は投入軌道の特性に合わせて推力が変化するように成型される。ミサイル転用型の場合、軌道投入に効率が下がり、衛星打ち上げ専用のロケットと比較した場合、同じ推進剤の量でも投入できる衛星の重量が下がる。極低温を要する液体燃料ロケットと比較して常温での保存に適するが、打ち上げ時の温度は燃焼速度に多少影響する。

2009年04月11日

わし星雲

わし星雲(M16, NGC6611) はへび座にある散開星団と散光星雲の複合した天体である。散開星団の背景に散光星雲が広がっており、メシエ天体としての番号 M16 は散開星団の方に付けられた番号である。散光星雲には IC4703 という番号が付けられている。1745年にフィリップ・ロワ・ド・シェゾーによって星団が発見され、1764年にシャルル・メシエが背景の星雲を発見した。しかし、メシエは同時代の観測者と比較して貧弱な機材しか持っておらずM15などのように、発見者が星団に分離できた場合でもメシエは星団を分離できず星雲状で見ている場合が多々ある。

わし星雲はへび座に属するが、観測する際にはたて座γ星から西へ約2.5°の位置にあるとして探した方が見つけやすい。M16 の南約2.5°には同じように散光星雲と散開星団が重なった天体であるオメガ星雲 (M17) が存在し、双眼鏡では同一の視野内に見ることができる。赤い散光星雲(HII領域)の中央が象の鼻のような細長い暗黒星雲によって隠されており、全体が羽を広げた鷲のように見えることからこの名前が付けられている。

わし星雲は星形成が活発に行われている領域で、前景に見える星団 M16 もこの星雲から生まれたと考えられている。M16 の中にはスペクトル型が O6 型という高温の星が含まれており、こういった若い高温星からの紫外線によって背景の星雲が電離して輝いている。

1995年にハッブル宇宙望遠鏡によって、星雲中央にある細長い暗黒星雲の画像が撮影された。この観測によって、暗黒星雲の柱の先端からさらに細い分子雲が伸びており、その先端に生まれたばかりの星が隠されている様子がはっきりと捉えられた。

双眼鏡では星雲状に見えるが、条件がよければ数個の星が見える。口径10cmの望遠鏡では数十個の星が見え始める。散光星雲を見るためには口径20cm以上の望遠鏡が必要とされる。小さい口径の望遠鏡では星団を分離できず星雲状に見ている。大口径の望遠鏡でも人間の目には見えにくいHII領域の星雲部分をはっきり見るためには干渉フィルターを使用すると良い。

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2009年03月27日

フランク王国成立までの略史

300年 ゲルマン諸族がローマ帝国のガリア国境…ライン河畔で略奪行為を行うようになる。これら諸族は集合離散を繰り返し、後に総称としてフランク族となる。
354年 ローマ帝国北部のガリア国境が崩壊し、フランク族がガリアに一斉に侵入。ローマ帝国はフランク族にトクサンドリア(Toxandria:現在のベルギーとオランダ)に領地を与え、傭兵とし、他のゲルマン諸族の侵入に対する防壁とする。傭兵としての約1世紀の間に、フランク族の生活にローマ文化が浸透する。
440年 ローマ正規軍がガリアから撤退し、トクサンドリアのフランク族が南下を開始。
446年 北ガリアで、フランク族諸族の王の中で、海の神の子孫と称されるメロヴィクスが頭角を現す。メロヴィクスの軍はトルネイ(Tournai:現ベルギー)でローマ軍と対峙したが、休戦協定でトルネイを領有。ふたたびローマ軍の傭兵となる。メロヴィクスはトルネイを拠点に徐々に勢力を拡大。
451年 ローマ軍に徴用されたフランク族は、ガリアのシャロン(現フランス)でアッティラ王に率いられたフン族との戦争を行う。弱体化したローマ軍はフン族に対抗するため、フランク族をはじめとするゲルマン諸族を統合してフン族を撃退したが、ローマ帝国としてはローマ軍の装備や戦略をフランク諸族に与えた結果となった。
457年 メロヴィクス死去。息子のキルデリクス(Childeric)が跡を継ぐ。
463年 イベリア半島を本拠地とし、すでにガリアの南半分を支配する西ゴート王国がさらに北進を進めていたため、ローマ帝国はトルネイでキルデリクス率いるフランク族に西ゴート族を撃退する戦争に協力を求めた。ローマ・フランク連合軍は西ゴート族を北ガリアから駆逐することに成功するが、ローマ帝国は弱体化しており、フランク族はそのままローマ帝国領ガリアの一部を切り取った。
キルデリクスは多数の部族の有力者の女性を所有しようとした(政略結婚?)ため、フランク族内での信用を失墜し、王位を剥奪され、フランク領を追放された。(この事実は、当時、フランク王位は絶対ではなく、族長代表のような存在だったことを意味する)
300年 ゲルマン諸族がローマ帝国のガリア国境…ライン河畔で略奪行為を行うようになる。これら諸族は集合離散を繰り返し、後に総称としてフランク族となる。
354年 ローマ帝国北部のガリア国境が崩壊し、フランク族がガリアに一斉に侵入。ローマ帝国はフランク族にトクサンドリア(Toxandria:現在のベルギーとオランダ)に領地を与え、傭兵とし、他のゲルマン諸族の侵入に対する防壁とする。傭兵としての約1世紀の間に、フランク族の生活にローマ文化が浸透する。
440年 ローマ正規軍がガリアから撤退し、トクサンドリアのフランク族が南下を開始。
446年 北ガリアで、フランク族諸族の王の中で、海の神の子孫と称されるメロヴィクスが頭角を現す。メロヴィクスの軍はトルネイ(Tournai:現ベルギー)でローマ軍と対峙したが、休戦協定でトルネイを領有。ふたたびローマ軍の傭兵となる。メロヴィクスはトルネイを拠点に徐々に勢力を拡大。
451年 ローマ軍に徴用されたフランク族は、ガリアのシャロン(現フランス)でアッティラ王に率いられたフン族との戦争を行う。弱体化したローマ軍はフン族に対抗するため、フランク族をはじめとするゲルマン諸族を統合してフン族を撃退したが、ローマ帝国としてはローマ軍の装備や戦略をフランク諸族に与えた結果となった。
457年 メロヴィクス死去。息子のキルデリクス(Childeric)が跡を継ぐ。
463年 イベリア半島を本拠地とし、すでにガリアの南半分を支配する西ゴート王国がさらに北進を進めていたため、ローマ帝国はトルネイでキルデリクス率いるフランク族に西ゴート族を撃退する戦争に協力を求めた。ローマ・フランク連合軍は西ゴート族を北ガリアから駆逐することに成功するが、ローマ帝国は弱体化しており、フランク族はそのままローマ帝国領ガリアの一部を切り取った。
キルデリクスは多数の部族の有力者の女性を所有しようとした(政略結婚?)ため、フランク族内での信用を失墜し、王位を剥奪され、フランク領を追放された。(この事実は、当時、フランク王位は絶対ではなく、族長代表のような存在だったことを意味する)
約8年後、テューリンゲン(Thüringen:現ドイツ中部)に亡命していたキルデリクスは、妻であるテューリンゲンの王女バシーナと息子クロヴィクスを伴って、キルデリクスを失って弱体化したフランク族にふたたび王として迎え入れられた。
482年 キルデリクス死去。(1653年トルネイでキルデリクスの墓が発掘された。ローマ軍人墓地の中に、ローマ軍人将校の制服を着、フランク国王としての副葬品とともに埋葬されていた。フランク国王でありローマ軍将校であるという2面性が伺われる)
486年 20歳のクロヴィクスはフランク諸族の軍を統合し、フランク領に近く、ローマ領ガリアの首都であったソワソン(Soissons)に侵攻する。ソワソンはゲルマン人総督であるキアグリアスが支配していたが、フランク族はソワソンを攻略し、ソワソンに移住。キアグリアスは処刑。フランク族とローマ人の交流が活発になった。クロヴィクスはさらに南進して領土を広げた。この課程で、現地に散在していたゲルマン諸族もフランク族に組み込まれた。
491年 ローマ軍が撤退した後のガリアで敵対勢力を駆逐するため、ラインラント(Rheinland:ドイツ)で、ライン川東岸に勢力を持っていた同じフランク族のジキベルト(Sighibert)王と連合する。
496年 フランク族のようなゲルマン諸族の集合体であるアレマン族が東からフランク領に侵攻、クロヴィクス・ジキベルト連合軍は壊滅しかけたが、奇跡的に勝利し、アレマン族を撃退した。ドイツ南部に勢力を持っていたアレマン族を併呑し、フランク王国は北ガリアからライン川南端まで拡大した。このとき、キリスト教徒であった妻クロキルダの勧めによってキリスト教の神に祈ったところ奇跡的に勝利し、クロヴィクスはキリスト教に改宗したという伝説がある。これがきっかけとなり、従来ローマの多神教などを信仰していたフランク族のキリスト教(カトリック教会)への大量改宗が起こる。フランク族は「キリスト教に改宗した最初のバーバリアン」といわれている。ただし実際は、ゲルマン諸族のうちでもゴート族などは以前からアリウス派(ローマ帝国とカトリック教会からは異端とされていた)を信仰していた。そのため正確には、「カトリック教会に(部族単位で)改宗した最初のゲルマン一派」というべきである。(クロヴィス1世の項を参照)
502年 北ガリアと南ガリアの国境に近いアンブロワーズ(Ambroise)で、北ガリアを支配するクロヴィクスと、南ガリアを支配する西ゴート王アラリックが会談し、休戦協定を結ぶ。しかし、直後に破られる。
506年 クロヴィクスはフランク諸族の連合軍を率いて、西ゴート軍を破り、西ゴート族をガリア南端まで駆逐した。これによってガリアのほぼ全土をフランク族が支配することとなった。
508年 クロヴィクスはガリアのトゥール(Tours)で東ローマ皇帝アナスタシウス1世の使者に面会し、ローマ帝国名誉執政官に任命された。クロヴィクスはトゥールで凱旋パレードを行った。一方、クロヴィクスはジキベルト王の王子クロデリクスをあおってクロデリクスにジキベルトを暗殺させ、その後で父殺しの罪でクロデリクスを暗殺した。フランク族連合軍のもう1人の王ジキベルトを葬ったことにより、全フランク族の王となった。全フランク族の王となったクロヴィクスは首都をパリに定め、実質的にローマ帝国から独立し、メロヴィング朝フランク王国を名実ともに確立した。この中で、民族の融合やゲルマン文化とローマ文化の融合が進んだ。
511年 クロヴィクスが45歳で死去。クロヴィクスが建立したパリの聖十二使徒教会に埋葬された。クロヴィクスの死後、フランク王国は数世代にわたって権力闘争に明け暮れた。
約8年後、テューリンゲン(Thüringen:現ドイツ中部)に亡命していたキルデリクスは、妻であるテューリンゲンの王女バシーナと息子クロヴィクスを伴って、キルデリクスを失って弱体化したフランク族にふたたび王として迎え入れられた。
482年 キルデリクス死去。(1653年トルネイでキルデリクスの墓が発掘された。ローマ軍人墓地の中に、ローマ軍人将校の制服を着、フランク国王としての副葬品とともに埋葬されていた。フランク国王でありローマ軍将校であるという2面性が伺われる)
486年 20歳のクロヴィクスはフランク諸族の軍を統合し、フランク領に近く、ローマ領ガリアの首都であったソワソン(Soissons)に侵攻する。ソワソンはゲルマン人総督であるキアグリアスが支配していたが、フランク族はソワソンを攻略し、ソワソンに移住。キアグリアスは処刑。フランク族とローマ人の交流が活発になった。クロヴィクスはさらに南進して領土を広げた。この課程で、現地に散在していたゲルマン諸族もフランク族に組み込まれた。
491年 ローマ軍が撤退した後のガリアで敵対勢力を駆逐するため、ラインラント(Rheinland:ドイツ)で、ライン川東岸に勢力を持っていた同じフランク族のジキベルト(Sighibert)王と連合する。
496年 フランク族のようなゲルマン諸族の集合体であるアレマン族が東からフランク領に侵攻、クロヴィクス・ジキベルト連合軍は壊滅しかけたが、奇跡的に勝利し、アレマン族を撃退した。ドイツ南部に勢力を持っていたアレマン族を併呑し、フランク王国は北ガリアからライン川南端まで拡大した。このとき、キリスト教徒であった妻クロキルダの勧めによってキリスト教の神に祈ったところ奇跡的に勝利し、クロヴィクスはキリスト教に改宗したという伝説がある。これがきっかけとなり、従来ローマの多神教などを信仰していたフランク族のキリスト教(カトリック教会)への大量改宗が起こる。フランク族は「キリスト教に改宗した最初のバーバリアン」といわれている。ただし実際は、ゲルマン諸族のうちでもゴート族などは以前からアリウス派(ローマ帝国とカトリック教会からは異端とされていた)を信仰していた。そのため正確には、「カトリック教会に(部族単位で)改宗した最初のゲルマン一派」というべきである。(クロヴィス1世の項を参照)
502年 北ガリアと南ガリアの国境に近いアンブロワーズ(Ambroise)で、北ガリアを支配するクロヴィクスと、南ガリアを支配する西ゴート王アラリックが会談し、休戦協定を結ぶ。しかし、直後に破られる。
506年 クロヴィクスはフランク諸族の連合軍を率いて、西ゴート軍を破り、西ゴート族をガリア南端まで駆逐した。これによってガリアのほぼ全土をフランク族が支配することとなった。
508年 クロヴィクスはガリアのトゥール(Tours)で東ローマ皇帝アナスタシウス1世の使者に面会し、ローマ帝国名誉執政官に任命された。クロヴィクスはトゥールで凱旋パレードを行った。一方、クロヴィクスはジキベルト王の王子クロデリクスをあおってクロデリクスにジキベルトを暗殺させ、その後で父殺しの罪でクロデリクスを暗殺した。フランク族連合軍のもう1人の王ジキベルトを葬ったことにより、全フランク族の王となった。全フランク族の王となったクロヴィクスは首都をパリに定め、実質的にローマ帝国から独立し、メロヴィング朝フランク王国を名実ともに確立した。この中で、民族の融合やゲルマン文化とローマ文化の融合が進んだ。
511年 クロヴィクスが45歳で死去。クロヴィクスが建立したパリの聖十二使徒教会に埋葬された。クロヴィクスの死後、フランク王国は数世代にわたって権力闘争に明け暮れた。

2009年03月12日

パドゥーラ修道院

パドゥーラ修道院 (Certosa di Padula) は、「サン・ロレンツォ修道院」(Certosa di San Lorenzo)としても知られている、チレントの公園の端にあるイタリアにある最も大きく有名な修道院のひとつである。「certosa」(チェルトーザ)とはカルトジオ会の修道院を指す。

UNESCOの世界遺産リストに登録されている。修道院はパルマの修道院に次いでイタリアで2番目の大きさである。

現在の修道院はトンマーゾ・サン・セヴェリーノにより1306年に既存の修道院の敷地に聖ラウレンティウスに捧げられ創設された。その構造はその聖者が生きたまま火あぶりにされたイメージを引用している。

修道院の主要部分はバロック様式で、320以上の部屋が造られていて50,500m?の面積がある。 修道院は世界最大の回廊(約12,000 m?)をもち、84の柱に囲まれている。白大理石の大きならせん階段は修道院の図書館に設置されている。

仕事と瞑想を説くカルトジオ修道会の規則に従い、修道院では、その実現のためにそれぞれ違う場所がある。静かな回廊、ヴィエトリ産の陶器で出来たタイル張りの図書館の床、貴重な大理石製で飾られた礼拝堂、伝説によると1,000個の卵を使ったオムレツがカルロ5世の為に用意されたといわれる[1]広い食堂、巨大な樽のある大きな貯蔵庫、洗濯場、修道士の食料になり残りを外部に売る作物を栽培しているはずれにある広場など。修道士達はワイン、オリーヴオイル、果物、野菜を生産していた。
ヤーダ ひまわり ヘンチック ロミア シロタ イングラ カフジ はばたけ チンナカ テライト オーツ インチ ウバナ ミクロン スカウト ドットコム ティアラ きょうせい ニードル シュート ヒュー パート フラッ バタフライ メイド ケミカ 大葉春菊 一寸法師 ポリス ギアナ ニガナ リルフール フィック バネー ビー玉流し ダンディ インプット らんぐい ムール ものう ユニーク ムベ ジップア のぎつね ロッテル モヘンジ ハウス タンドー ブロージ リグニン

現在、修道院はルカーニア考古学博物館としてサーラ・コンシリーナとパドゥーラのネクロポリスの遺跡から発掘された収集品を保管している。この博物館では、先史時代からヘレニズムの時代までの期間を展示している。

2009年02月23日

片鍔の帽子がトレードマーク

主人公
『V2』の主人公。片鍔の帽子がトレードマーク。母親は優しいが、いまいちカスタムロボに理解が無く、どうしてもロボを買ってもらえないため、懸賞でシャイニングファイター型のロボ、レイIIを入手しコマンダーとなる。父親は単身赴任で不在。友人にも良きライバルにも恵まれるが、段々とその友人達に家を占拠されオヤツを食べられたり、ユリエにあごで使われたり、おそらくシリーズ中1番悲惨な主人公。因みにレイIIは『大乱闘スマッシュブラザーズDX』にもフィギュアとして登場した。(ただし、その際名前は「レイMkII」と表記された)
ゲンタ
『V2』の主人公の友達。主人公のパートナー役。「うしゃしゃ」という笑い方と出っ歯が特徴。カスタムロボに関連した情報の収集力はかなりのもの。同じく友達のタイヘイからは「ゲンちゃん」と呼ばれる。主人公にカスタムロボの基本を教えたり親切だが、だんだん主人公宅で朝食を食べたりとあつかましくなっていく。使用ロボはリトルレイダー型のパロット。
ドリーム ミリバ すぐき菜 ちそう パンプ ハーフ カバー しゃるどね リニュ バイオ カリソウ ノータック キシャー スモー スンドゥ ずっき じゅんか チンチラ ブタジ カーネ ロゴ チェック アクシオン ロメン 銀色の雨 マスタ ミーゴー パエリ きんあか ディン ワスプ ハロー ジスト パレード たーつぁい オテコ オープン たまりん ジャグ メラノ カーコン ツガWEB アプリ オービタル ハーフ ナビ夕立 エスアイ つくし プレイシ ハイブ

タイヘイ
『V2』の主人公の友達。肥満体格でよく服からお腹がはみ出す。ゲンタと同じく主人公宅でオヤツや食事を取るようになっていく。主人公の母親が作ったチョコチップクッキーがお気に入りの様子。「旅立ち編」では主に説明役である。ゴライアスに洗脳されたりもした。使用ロボはファッティバイス型のヘプタン。
ロボ博士(プロフェッサー・クサマ)
コマンダー兼開発者の博士。博士号を持っているかどうかは不明だが愛称がロボ博士である。主人公の町のロボステーションの責任者でもある。モヒカンヘアと「ムハハ」という笑い方が特徴。本人の話によると、昔は宇宙開発用のロボットも操作していたとか。子供もいることが明らかとなっており、現在2人登場している。使用ロボはバーニングビースト型のホークマン。「ワシが使うのにホークとはこれいかに?」というギャグを戦う前にいつも言う。
ピータロウ
最強のコマンダーを目指している一人。ロボ博士の息子で『GX』に登場するレディ・Pの弟。激闘編に登場。隠しキャラのような存在。使用ロボは最弱のロボ・ヒヨコロボ。父親にカスタムロボを始めたいと言ったら、これで修行しろと渡されたらしい。姉の話によると『GX』ではヒヨコロボジェットという機体を使っているらしい(『GX』のゲーム中実際には登場しない)。DS版では、ヒヨコロボで再登場している(DS版のヒヨコロボは、空中ダッシュではなく多段ジャンプになっている。)。
タクマ
カスタムロボ専門の塾、「タクマ塾」の創設者でありリーダー。実力もかなりのものである。普段は真面目で口数は多くなくムッツリとした雰囲気をしてい るが、カスタムロボに対する姿勢は真剣で熱い。ナナセにはただのパートナー以上の感情を持っているようだが、お互い恋愛に積極的な性格ではないためなかなか仲は進展しない。激闘編終盤ではゲンタ・タイヘイ・ジロウらと主人公宅にたむろする面子のひとりとなってしまう。使用ロボはワイルドソルジャー型のウィルソン、パトリオット(GX)。『バトルレボリューション』には「タクマ大学」という名前が登場する。(但し、名前が出てくるだけで、実際には、タクマ大学やタクマ本人が「バトルレボリューション」に出てくる訳ではない。)
ナナセ
タクマ塾女幹部。非常にクールな性格。実は闇組織「ゴライアス」の総帥ロクドウの娘で時期総師候補でもあり、元々はタクマ塾へはスパイ活動などの目的で潜入していた。だが、だんだんとタクマに惹かれ迷いが生まれる。劇中ではあまり触れられないが、抜群のスタイルの持ち主。ダイブするときは「(ロボ名)、戦いの時よ!」というキメ台詞をつかう。使用ロボはセクシースタンナー型のアニー。しかし、物語クライマックスでは父・ロクドウのため遺法ロボのメイジェルを使い主人公に戦いを挑む。激闘編では、一時タクマ塾を離れ、ジロウと同じく武者修行の放浪コマンダーとなっていたが、やっぱり主人公宅にたむろするようになる。また『GX』では塾に戻っている。『GX』での愛機はプルート。因みに、アニーは『大乱闘スマッシュブラザーズDX』にもフィギュアとして登場した。
トラジ
タクマ塾幹部。筋骨隆々とした体躯の持ち主で、いかにも体育会系といった風貌。ヒンズースクワット愛好家で、フィールド上のモデルは常にヒンズースクワットをしており、さらに「ヒンズースクワット同好会」なるものを開いているらしい。『GX』の主人公はその同好会に誘われた。だが、その性格は穏かで、以外に細かな気遣いもできる。一向に進展しないタクマとナナセの仲に内心やきもきしており、『GX』では「早く結婚してほしい」と漏らしていた。ゴライアスに洗脳を受けた。ダイブするときはよくキメ台詞として「風林火山」などの四字熟語を叫ぶ。使用ロボはメタルグラップラー型のタイガーロア、タイガーグレア(GX)。
ケンゴ
コマンダー3兄弟の長男。タクマ塾に入門し、更なる力を求めてゴライアスに入団するも、その間違いに気づき、退団しようとするも捕らえられてしまう。使用ロボであるストライクバニッシャー型のジャベリンを「ホロセウムの貴公子」と称する。『バトルレボリューション』ではシミュレーションバトルデータディスクとして対戦可能。ダイブ時のキメ台詞は「ホロセウムの貴公子、ジャベリンの切れ味を見よ!」。
ツルギ&ヤイバ
ケンゴの弟達で双子。『V2』中盤からはデュアル・ダイブによるバトルも行う。デュアル・ダイブ時に使用するロボはベイオネット、ジャベリンMk-II(GX)。
ヤイバ
ケンゴが死んでしまった(実際には死んでいない)ことのショックでダイブ出来なくなってしまった。後に復活するが、暴走してしまう。使用ロボはストライクバニッシャー型のランス。
ツルギ
力を求めてタクマ塾に入門。その後ケンゴと同じ道を歩む。『V2』激闘編序盤で主人公らとユリエとのデート権争奪戦を繰り広げて以来、ユリエへの恋心から強く主人公をライバル視するようになる。さらにユリエの前で主人公相手に自分は勉強も運動も料理もできる、と語った。因みに料理はキムチ鍋に挑戦中とのこと。しかし、激闘編『カトレアの園遊会』でユリエとフタバに女装させられてしまった主人公にも気があるようだ。(もっとも正体をツルギは知らないが)使用ロボはストライクバニッシャー型のスピア。ダイブ時のキメ台詞は「いでよ、スピア!」
フタバ
『V2』の主人公の妹。ピンク色の髪と「でしゅ」「ましゅ」という語尾が特徴。少しませた幼稚園児で、他キャラに鋭いツッコミを入れることも。しかし、狙いなのか素なのか、自分である大ボケをかましたときは、見事にスルーされていた。旅立ち編ではわりと兄を慕っているが、激闘編にてコマンダーとなって以来ユリエに心酔、ファンとなり、彼女の肩を持つことが多くなる。偽主人公の正体が分からない時、主人公が「自分に双子の兄弟がいないか」と母に聞いたことを、妹の自分が不満なのかと怒ったこともあった。使用ロボはリトルスプリンター型のパーミル。これは、母親に買ってもらったのだろうか……? 因みに『激闘!』ではポプラとメル友をしているらしい。
シーザー
フカシが連れている猿。フカシにカスタムロボを教えてもらい、猿でありながらコマンダー。台詞は「キーキー」といった猿の鳴き声の後にカッコ入りで表記され、フカシや主人公とちゃんと意思疎通している。激闘編にて他の猿軍団を集めてフカシに反抗した事もあった。因みに、シーザーに裏切られたフカシは「シ、シーザー!おまえもか!なのだぁぁぁ…」と叫ぶ。使用するロボはバーニングビースト型のゴリオン。
クレオパトラ
イルカ。シーサーと同じくフカシの弟子。マリンパークという水族館に住んでおり、そこで行われたカスタムロボ大会ににフカシとともに乱入。主人公と対戦する。イルカであることに誇りを持っており、主人公に敗北したことをフカシに咎められ「所詮、進化の袋小路に追い込まれた生き物」などと言われたときには、嘆き怒りフカシをお手玉した。使用ロボはバーニングビースト型のドルフィー。
偽主人公(名前は主人公の名前によって変わる)
主人公とルックスがそっくりな少年。乱暴で傲慢な性格。正体はロボ博士が造り出した自律型のホログラムである。最初は、主人公の練習相手にする目的で創り出されたのだが、やがて自我が生まれ。ロボ博士のもとを脱走してしまう。使用ロボは違法ロボのレイIIダーク。「激闘!」にも偽主人公が出てくるが、V2の偽主人公と同じかどうかは不明である。

『カスタムロボGX』
主人公
『GX』の主人公。青くやや長めの髪が特徴。単身赴任中の父親から『X-レイ』を贈られ、カスタムロボを始めることとなる。後にX-レイを元にニカイドウ・グループが造ったライトニングスカイヤー型の『レイスカイヤー』を入手。さらに、物語のクライマックスではレイスカイヤーをポリス隊がさらに改造した軍事用ロボの『A・I・R・S』(エアーズ)というロボを使用することになる。
ユウスケ
主人公のクラスメイトで親友。『GX』のパートナー役の一人。やや色黒の肌をした少年で、イメージに違わず非常に活発。GXで主人公の代わりに喋る役割を与えられているため、出番も台詞も非常に多い。やや口は悪いが心根は優しく熱く、主人公とヒトミを引っ張っていく立場にある。その行動力・決断力をニカイドウにも、それは『勇気』だと評価され、主人公と共に組織に勧誘される。影でこっそり努力し、グレートロボカップの推薦枠を手に入れるという場面も。因みにゲームの最初、ユウスケとともにロボステーションに向かう場面で、主人公がわざと自宅に戻ると、律儀に何度もツッコミをいれてくれる。愛機はシャイニングファイター型のフォトン。ヒトミの発言からすると風呂にはあまり入らないらしい。
ヒトミ
主人公やユウスケの後輩の少女。『GX』のパートナー役の一人。だが、喋る役はもっぱらユウスケが担っているため、出番はやや少ない。主人公を「先輩」と呼び、明るく慕ってくる。大のお風呂好きで1日に2回入ることもあるという。やや間延びした喋りで天然ボケのような印象を受けるが、主人公が「いつ風呂に入ったか」と聞かれ「2年前」と答えるとしっかりツッコミをいれてくる。また、時々言い間違いをするユウスケにも鋭くツッコミをいれることがあるが、その度にポカリとぶたれてしまう。愛機はエアリアルビューティー型のルナ。
ヒコマロ
主人公達の同級生で、ラムダ社会長の甥っ子のお金持ち。典型的なお坊ちゃまキャラで、その立場や財力を鼻にかけ、さらにその伝手で入手する最新型のロボやパーツを自慢し嫌がられている。しかし、本当は小心者なようで、コウシロウにロボを壊されたとき等は怯えきっていた。(コウシロウがあまりにもおっかないのもあるが)主人公に敗北したあと、親戚であるカトレアに泣きつくも「円条寺家に敵討ちなどにあわない」とたしなめられてもいた。なお、苗字が円条寺であるかは不明。愛機はミスティミラージュ型のマサカド。
マユズミ
主人公らの同級生。控えめな性格の少年だがカスタムロボの腕は立ち、昨年度のグレートロボカップでコウシロウと優勝を争った。しかし、心臓病を患っており、試合中その発作が起きて、途中棄権する形で敗北した。コウシロウはその勝利が気に食わないらしく、マユズミになにかと因縁をつける。フルネームはマユズミ・ユウキ。数年前に謎の失踪を遂げた姉を独自に探している。愛機はライトニングスカイヤー型のスティングレイ。
コウシロウ
『GX』の時点でのグレートロボカップチャンピオン。2年連続でチャンピオンの座についている実力者。しかし、その性格は乱暴で陰湿。ロボステーションで活躍しているコマンダーに半ば無理矢理勝負をしかけては、徹底的に叩きのめすなどの行為を働く。ヒコマロも彼の気に障ったらしく、無理矢理勝負を挑まれた挙句、ロボを壊されてしまった。しかし、彼がそのような性格になってしまったのは、貧しい家に生まれたためとても苦労したという経験がもとになっているらしい。また、彼の実力が高いことは事実で、特別な薬を使ってパワーアップしたニカイドウを瞬殺してしまうほど。マモル・ジロウとは無名時代からの幼馴染。
カーン
日本に遠征にやってきたヨーロッパのカスタムロボチャンピオン。かつて海外遠征していたマモルと対戦したことがきっかけでカスタムロボに傾倒するようになったという。まだ日本語に馴れていないらしく言葉の端々にカタコトが混じる。最初は日本のコマンダーはレベルが下がった、などといっていたが、根は紳士的な性格で徐々に主人公等を認めていく。終盤でガイオウに襲われた主人公たちを助ける。愛機はストライクバニッシャー型のファルシオン。
リョウ
マカノシティのロボステーションの大会に出没する謎のコマンダー。超全的な雰囲気をした長身の男。その正体は……?
カンザキ
マカノシティのロボステーションの大会に出没するコマンダー。少々ガラが悪い。ニカイドウ・グループが開いている闇バトルにも参加しておりニカイドウの開発したナノマシンを投与し能力を高めている。主人公達の活躍によってポリス隊に捕まるとあっさり闇バトルのことを白状してしまう。しかし、組織とは直接の関係は無かった。
サムエル
マカノシティのロボステーションの大会に出没するコマンダー。カンザキ等と同じく闇バトル参加者でナノマシン投与を受けている。カンザキ以上にガラが悪い痩身の男で特に子供が嫌い。「お子様はかえりな」などと言いながら主人公に挑むも敗北するととても悔しがる。
レディ・P
「激闘編」から登場するカスタムロボ研究家の女性。マモルの紹介で激闘編で主人公のサポートをすることになる。因みにその際、マモルのことを『マモっち』と呼び、「やめてください」と言われた。実は『V2』に登場したロボ博士の娘でピータロウの姉。女性ながら、父親ゆずり(?)のモヒカンヘアでしかもピンクと黄色に染めている(地毛の可能性もあるが)ため見た目は非常に派手。性格は気風のいい姐御肌といった感じ。なお、レディ・Pの『P』は『プロフェッサー』のPだそうだ(本人談)。

2009年02月07日

漢民族以外の民族の動向

モンゴルとチベットでの動き
辛亥革命により清国が消滅すると、その旧領をめぐって中国、モンゴル、チベットは、それぞれに自領域を主張した。
オフチ ふくち ブラン ぶんかく プラント スマ フロック トトッ メタロ ダイオプ ブリキア パタゴニア ライン パラメータ ジューク ハンガー ビエン きつね ピラミッド ビールス バーテン トパバス パーマワ チュリア しろくま そうこ ハラーム ヒューズ デスバ ループ ティーツ ライブ イペリッ ナビオギ シーディ イザベ アカシア こじゅう オールロ ゼット パートナ リソース レサーチ シュツルー ケオキキ レモン ピッチ ラック まくわ トータル

中国は清領全域を主張した。これに対して、モンゴルとチベットは、自分たちは清朝の皇帝に服属していたのであって中国という国家に帰属するものではなく、服属先の清帝退位後は中国と対等の国家であると主張し独立を目指す動きが強まった。

ポタラ宮、当時のチベットの中心地1913年、モンゴルではボグド・ハーンによって、チベットではダライ・ラマ13世よって中国からの独立が宣言され、両者はモンゴル・チベット相互承認条約を締結するなど国際的承認をもとめ、これを認めない中華民国とは戦火を交えた。この状況は、モンゴル域への勢力浸透をはかるロシア、チベット域への進出をねらうイギリスの介入をゆるし、モンゴル・ロシア・中華民国はキャフタ協定に調印批准、チベット・イギリス・中華民国はシムラ協定(民国政府のみ調印、批准されなかった)が模索されたものの問題の解決には至らなかった。

ダライ・ラマを補佐していたパンチェン・ラマは親中国的であったために、イギリスに接近するダライ・ラマに反発し、1925年に中国に亡命した。1933年、ダライ・ラマ13世が死去、中国の統治下にあったチベット東北部のアムド地方(青海省)で生まれたダライ・ラマ14世の即位式典に列席した国民政府の使節団は、式典が終了したのちも、蒙蔵委員会駐蔵弁事處を自称してラサにとどまった。1936年には長征中の中国共産党の労農紅軍が、カム地方東部(四川省西部、当時西康省)に滞留中、同地のチベット人に「チベット人民共和国」(博巴人民共和国)[9]を組織させたが、紅軍の退出とともに、ほどなく消滅した。

この問題は、モンゴルについては、1947年、外蒙古部分のみの独立を中華民国政府が承認することによって、チベットについては、1950年、十七ヶ条協定によってチベットの独立が否定され中華人民共和国の一地方となったことによって、一応の決着をみた。

東トルキスタン(新疆)での動き
東トルキスタン(新疆)では、19世紀中に統治機構の中国化が達成されていた。すなわち、旗人の3将軍による軍政と、地元ムスリムによるベク官人制にかわり、省を頂点に府、州、県に行政区画された各地方に漢人科挙官僚が派遣されて統治する体制である。そのため、辛亥革命時、東トルキスタンでは、地元ムスリムがチベットやモンゴルと歩調をあわせて自身の独立国家を形成しようとする動きはみられず、新疆省の当局者たちは、すみやかに新共和国へ合流する姿勢を示した。この地では、楊増新が自立的な政権を維持し、またソ連と独自に難民や貿易の問題について交渉した。楊増新の暗殺後は金樹仁が実権が握ったが、彼は重税を課して腐敗した政治をおこなったため、1931年には大規模な内乱状態に陥った。その後金樹仁の部下であった盛世才が実権を握るようになり、彼はソ連にならった政策を打ち出して徐々に権力を強化した。一方で1933年には南部で東トルキスタン共和国の独立が宣言されたが、わずか6ヶ月で倒れた。

中華人民共和国
社会主義国化と粛清(1949年〜1957年)
「建国宣言」を行なう毛沢東1950年中ソ友好同盟相互援助条約が結ばれた。これは日本およびその同盟国との戦争を想定して締結されたものである。この条約でソ連が租借していた大連、旅順が返還され、ソ連の経済援助の下で復興を目指すこととなった。1953年より社会主義化が進み、人民政治協商会議に代わって全国人民代表大会が成立、農業生産合作社が組織された。

1950年に、中国共産党は独立国だったチベットに軍事侵攻し全土を制圧した。1951年には中華人民共和国とチベット政府「ガンデンポタン」は「中央人民政府と西藏地方政府の西藏平和解放に関する協議」(いわゆる「十七か条協定」)を締結し、チベット全域が中華人民共和国の実効統治下に組み入れられた。その後中国共産党政府はチベット国民に対する弾圧や虐殺を繰り返し行なうことでチベットを支配し続けており、さらに漢人の移民を積極的に実行して現在ではチベットにおける漢人とチベット人の人口比率は逆転していると言われている[要出典]。

1956年にソ連でフルシチョフによって「スターリン批判」がおこなわれると、東欧の社会主義国に動揺がはしった。中国共産党政府も共産圏にある国としてこの問題への対処を迫られ、この年初めて開催された党全国代表大会では、「毛沢東思想」という文言が党規約から消えた。そして全く一時的に(わずか2ヶ月)「百花斉放、百家争鳴」と称して民主党などの「ブルジョワ政党」の政治参加が試みられた。しかしブルジョワ政党が中国共産党政府による一党独裁に対して激しい批判を噴出させたため、逆に共産党による反右派闘争を惹起し、一党支配体制は強められた。一方で中ソ協定が結ばれ、軍事上の対ソ依存は強くなった。この時代の中華人民共和国をソ連のアメリカに対する緩衝国家あるいは衛星国家とみなすことも可能である。しかし徐々にデタント政策へと転回し始めていたソ連の対外政策は、中国共産党政府の中華民国に対する強硬政策と明らかに矛盾していた。

中国共産党の対ソ自立化(1958年〜1965年)
1958年に、毛沢東は大躍進政策を開始し、人民公社化を推進した。当初はかなりの効果をあげたかに見えた人民公社であったが、党幹部を意識した誇大報告の存在、極端な労働平均化などの問題が開始3ヶ月にしてすでに報告されていた。毛沢東はこのような報告を右派的な日和見主義であり、過渡的な問題に過ぎないと見ていたため、反対意見を封殺したが、あまりに急速な人民公社化は都市人口の異様な増大など深刻な問題を引き起こしていた。

1959年と1960年には、大躍進政策の失敗と天災が重なり、大規模な飢饉が中国を襲い、少なくとも2000万人(『岩波現代中国事典』によれば3000万人。2000万から5000万人以上との説もある)と言われる餓死者を出し大躍進政策も失敗に終わった。1960年代初頭には人民公社の縮小がおこなわれ、毛沢東自身が自己批判をおこなうなど、一見調整的な時期に入ったように思われた。劉少奇が第2次5ヶ年計画の失敗を人民公社による分権的傾向にあると指摘し、中央集権を目指した政治改革、個人経営を一部認めるなど官僚主義的な経済調整をおこなった。

一方でこの年、中国共産党政府は台湾海峡で中華民国に対して大規模な軍事行動を起こし、アメリカ軍の介入を招いた。フルシチョフは中国共産党政府の強硬な姿勢を非難し、また自国がアメリカとの全面戦争に引きずり込まれないように努力した。ソ連はワルシャワ条約機構の東アジア版ともいうべき中ソの共同防衛体制を提案したが、中国共産党政府はソ連の対外政策への不信からこれを断った。その後1959年6月ソ連は中ソ協定を一方的に破棄した。1960年には経済技術援助条約も打ち切られ、この年の中国のGNPは1%も下落した。

しかし党組織の中央集権化と個人経営に懐疑的であった毛沢東はこれを修正主義に陥るものであると見ていた。1963年に毛沢東は「社会主義教育運動」を提唱し、下部構造である「農村の基層組織の3分の1」は地主やブルジョワ分子によって簒奪されていると述べた。これは劉少奇ら「実権派」を暗に批判するものであった。またこのころ毛沢東は「文芸整風」運動と称して学術界、芸術界の刷新をはかっていたことも、のちの文化大革命の伏線となった。1964年中国は核実験に成功し、軍事的な自立化に大きな一歩を踏み出した。一方で1965年にアメリカによる北爆が始まりベトナム戦争が本格化すると、軍事的緊張も高まった。

チベットでは独立運動が高まったが、政府はこれを運動家に対する拷問など暴力によって弾圧した。このため多数の難民がインドへ流入した。

文化大革命前期(1966年〜1969年)
天安門広場は中華人民共和国時代にも多くの歴史の舞台となった1966年に毛沢東は文化大革命を提唱した。毛沢東の指示によって中央文化革命小組が設置され、北京の青少年によって革命に賛同する組織である紅衛兵が結成された。毛沢東は「造反有理」(反動派に対する謀反には道理がある)という言葉でこの運動を支持したので、紅衛兵は各地で組織されるようになった。

毛沢東は文革の目的をブルジョワ的反動主義者と「実権派」であるとし、劉少奇とその支持者を攻撃対象とした。毛沢東は林彪の掌握する軍を背景として劉少奇を失脚させた。しかし文化大革命は政治だけにとどまることがなく、広く社会や文化一般にも批判の矛先が向けられ、反革命派とされた文化人をつるし上げたり、反動的とされた文物が破壊されたりした。

1966年の末ごろから武力的な闘争が本格化し、地方では党組織と紅衛兵との間で武力を伴った激しい権力闘争がおこなわれた。毛沢東は秩序維持の目的から軍を介入させたが、軍は毛沢東の意向を汲んで紅衛兵などの中国共産党左派に加担した。中央では周恩来らと文革小組の間で権力闘争がおこなわれた。1967年の後半になると、毛沢東は内乱状態になった国内を鎮めるために軍を紅衛兵運動の基盤であった学校や工場に駐屯させた。

この時期軍の影響力は極端に増大し、それに伴って林彪が急速に台頭した。1969年には中ソ国境の珍宝島で両国の軍事衝突があり(中ソ国境紛争)、軍事的緊張が高まったこともこれを推進した。同年採択された党規約で林彪は毛沢東の後継者であると定められた。

文化大革命後期(1969〜1976年)
文化大革命は後期になると国内の権力闘争や内乱状態を引き起こしたが、最終的に文化大革命は1976年の毛沢東死去で終結した。文化大革命では各地で文化財破壊や大量の殺戮が行われ、その犠牲者の合計数は数百万人とも数千万人とも言われている。また学生たちが下放され農村で働くなど、生産現場や教育現場は混乱し、特に産業育成や高等教育などで長いブランクをもたらした。

一方この時期、ソ連に敵対する中国共産党政府は、同じくソ連と敵対する日本やアメリカなどからの外交的承認を受け、この結果国連の常任理事国の議席も台湾島に遷都した中華民国政府(国民党政権)に変わって手にするなど、国際政治での存在感を高めつつあった。

改革開放以後の現在(1976年〜)
返還された香港は中国経済の牽引都市になっているその後は一旦華国鋒が後を継いだが、1978年12月第11期三中全会で鄧小平が政権を握った。鄧小平は、政治体制は共産党一党独裁を堅持しつつ、資本主義経済導入などの改革開放政策を取り、近代化を進めた(社会主義市場経済、鄧小平理論)。この結果、香港ほか日米欧などの外資の流入が開始され、中国経済は離陸を始めた。

一党独裁
冷戦崩壊後に、複数政党による選挙や言論の自由などの民主主義化を達成した中華民国と違い、いまだに中国共産党政府による一党独裁から脱却できない中華人民共和国には多数の問題が山積している。

1989年には北京で、1980年代の改革開放政策を進めながら失脚していた胡耀邦の死を悼み、民主化を求める学生や市民の百万人規模のデモ(天安門事件)が起きたが、これは政府により武力鎮圧された。その一連の民主化運動の犠牲者数は中国共産党政府の報告と諸外国の調査との意見の違いがあるが、数百人から数万人に上るといわれている。しかし中国共産党政府はこの事件に関しては国内での正確な報道を許さず、事件後の国外からの非難についても虐殺の正当化に終始している。

この事件以降も、中国共産党政府は情報や政策の透明化、民主化や法整備の充実などの国際市場が要求する近代化と、暴動や国家分裂につながる事態を避けるため、内外の報道機関やインターネットに統制を加え、反政府活動家に対する弾圧を加えるなどの前近代的な動きとの間で揺れている。この様な中、2003年には国内でSARSの大発生があったが、このときも政府は虚偽の発表を行なうなど問題の隠蔽を繰り返した。

天安門事件で外資流入に急ブレーキがかかったが、1990年代には、江沢民政権のもとで、鄧小平路線に従い、経済の改革開放が進み、特に安い人件費を生かした工場誘致で「世界の工場」と呼ばれるほど経済は急成長した。なお、1997年にイギリスから香港が、1999年にポルトガルからマカオが、それぞれ中華人民共和国に返還され、植民地時代に整備された経済的、法的インフラを引き継ぎ、中華人民共和国の経済の大きな推進役となっている。また、敵対している中華民国との間にも経済的な交流が進み、両国の首都の間に直行便が就航するまでになっている。2008年12月には「三通」が実現した。

人口、面積ともに世界的な規模をもつことから、アメリカの証券会社であるゴールドマンサックスは、「中華人民共和国は2050年に世界最大の経済大国になる」と予想するなど、現在、中国経済の動向は良くも悪くも注目されているが、低賃金による大量生産を売り物にしてきた経済成長は賃金上昇・東南アジア諸国やインドの追い上げなどで限界に達しており、産業の高度化や高付加価値化などの難題に迫られている。また、各種経済統計も中国共産党政府発表のそれは信憑性が乏しいと諸外国から指摘されている。各省など地方も独自の産業振興策に走り、中国共産党中央政府に対して経済統計の水増し発表や災害などの情報隠蔽を行うなど、統計や発表の信憑性不足に拍車をかけている。

これらのことより、中国共産党の一党独裁による言論統制や貧富格差、地域格差など国内のひずみを放置し続ければ、いずれ内部崩壊を起こして再度混乱状態に陥り、ソ連同様に中華人民共和国という国家体制そのものが解体、消滅するという意見も多い。

少数民族問題
新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)では漢化政策の進展によって、漢民族が同地域へ大量に流入する一方、少数派のウイグル人は生活が厳しく、都市を中心として就職などに有利な中国語教育の充実によりウイグル語が廃れるなどの民族的なマイノリティ問題が発生している。またタクラマカン砂漠の石油資源利用や新疆南北の経済格差が広がっているなど、中国共産党政府の経済政策に対する批判も根強い。1997年には新疆ウイグル自治区で大規模な暴動が起きた。海外で東トルキスタン独立運動がおこなわれている一方国内でもウイグル人活動家の処刑などが行われている。ウイグル人の間でも、民族自治における権限拡大という現実主義的な主張もあらわれている。たとえば中国語教育を受けたウイグル人が中国共産党組織に参加する、新疆での中国共産党政府の経済政策に積極的に参加するといった事例も見られる。

チベット自治区では中華人民共和国成立後、農奴解放によって上層貴族の利益が影響された。その上層貴族の代表ダライ・ラマが海外に亡命し、チベットの実際独立を求め、農奴制度をチベットで復活するための亡命政権が海外に存在し、中国共産党政府が不法な領土占拠をしていると訴えるとともに独立運動が継続されている。2008年3月14日には、チベット自治区ラサで、ダライ・ラマを支持する僧侶などの暴力行動が激化し、中心部の商店街から出火、普通の小学校まで暴力攻撃された。出火などの暴力事件で多数の死傷者が出た。1989年に戒厳令が敷かれた時の騒乱以来最大の規模。外国メディアだけでなく中国の国営新華社通信も報じた。北京オリンピックに向けた時期に、チベット問題を国際世論に訴えようとするチベット独立派の意図が背景にあるとされる。そのなか、報道自由と誉めてきた西方メディアは言論偏向し、反中国の立場だけに立って不正報道が溢れていた。中国民衆がこれに不満を表示するために、反西方メディア不正報道のウェブサイトアンチCNNを開設した。中国政府は、15日から外国人と一般の中国人の自治区入りを禁じる措置をとるという。チベット亡命政府によると確認されただけで死者は少なくとも80人はいると発表された。それと同時に世界各国の中国大使館前でも中国政府への抗議活動が繰り広げられた

2009年01月22日

アメリカはイギリスから植民地 13 州を割譲

アメリカはイギリスから植民地 13 州を割譲されて独立したが、その後もイギリス、フランス、スペイン、メキシコから植民地や領土を割譲されまたは買収して、自国の領土を西へと拡大した。拡大する過程で新たに州を新設していったので、植民地と州の境はあいまいになった。短期間で西海岸へ到達すると、太平洋の先に目を向け、北部のアラスカをロシアから買収、ハワイを併合しその後州に昇格させ自国領土内に完全に併合する。さらに米西戦争でスペインに勝利すると、スペインの統治下にあったカリブ海のキューバやプエルトリコ、東南アジアのフィリピン、グアムを植民地化した。もっとも、キューバはすぐに独立させたが、その後もキューバ革命までの長きに渡り影響下においた。

アメリカは建国の成り立ちからして、他国の領土を支配するという考えに反対する人々が多いこともあり、植民地を直接経営するよりも独立した国家を間接的に支配することを好んだ。例として、米西戦争の勝利によって、スペインの影響下にあった中米の国々を独立させ、政治や経済的に影響下に置いた。これは直接には植民地としていないが、「経済植民地」とでもいえる事実上の植民地下に置き、各国に共産主義勢力が台頭するとたびたび排除するために軍を送り、傀儡政権となる軍事独裁政権を樹立させるなど、主権を無視した内政干渉を繰り返した。この体制は、中米や中東において現在も変わっていない。また、フィリピンは第二次世界大戦後に独立させたものの、同じく政治、経済、軍事すべてにおいて完全にアメリカの支配下に置いた他、戦後に日本から獲得した南洋諸島も北マリアナ諸島を除いて独立したものの同様の状況下にある。

なお、中米にはプエルトリコが、自治領として存続している。プエルトリコも北マリアナ諸島も、アメリカからの独立の勧告を無視し、実利を取ってアメリカの治下にとどまっている。

中華人民共和国
チベットおよび 東トルキスタン独立運動も参照

中華人民共和国はチベット(西蔵自治区、青海省など)や内モンゴル(内蒙古自治区)、東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)、満州(遼寧省、吉林省、黒竜江省の3省と、内蒙古自治区の東部など)などを中華民国から継承したが、これらの地域は法制(中華人民共和国憲法の民族自治規定等)上は完全に他の中華人民共和国省区、内地と同格であり、法制度の上では植民地とは言えない。

これらの地域では現在問題となっているような民族元来の文化、宗教、思想の弾圧が行われており、特に東トルキスタン、チベット、内モンゴルにはその傾向が強い。さらにチベット民族の政治的・労働的劣位が明かであることがにされている(米国務省「世界の人権状況」2002年次報告)。もともと、1950年に中国共産党軍がチベットを武力侵略した狙いは、チベットの豊富な鉱物資源だったといわれ、実際に鉱物資源を輸送する青蔵鉄道の建設、大規模な採掘事業など、チベット鉱物の開拓は中国の国策として着実に進められている。また中国政府が推進する「チベット地域支援政策」によって、大量の漢民族が社会的・経済的優位が保障されるチベット自治区に流入し、現在の自治区人口比では漢民族がチベット民族を凌駕している。さらに前述の政治的・労働的優位性のもとに、漢民族がチベット民族を低廉な賃金で就労させている現状が米国務省報告に記載されており、資源の搾取、原住民族の労働力化などが行なわれており、東トルキスタン亡命政府、チベット亡命政府、内モンゴル人民党などの独立や自治を目指す諸団体は「中華人民共和国の植民地支配」という表現を使用することが多い。
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オマーン
オマーンは17世紀にはインド洋に海洋帝国を構築し、同沿岸のザンジバル(現タンザニア領)やパキスタン沿岸のグワダルを保有した。

イスラエル
イスラエルは宗主国無き植民地とも言える国家である、と主張する者もいる(エドワード・サイードなど。反論もある)。第一次世界大戦にオスマン帝国が敗北すると、中東・アラブ地域は新たにイギリス・フランスの植民地となり、ユダヤ人が約束の地と崇めるパレスチナは委任統治領としてイギリスの管理下におかれ、ヨーロッパやアメリカ合衆国からユダヤ人が入植した。ポグロムから逃れてきた人も多かった。しかし、時の弁務官の方針により、ユダヤ人移民の数はおおむね制限されており、ユダヤ人人口が減少に転じた時期もあった。入植者が増大したのは、第二次世界大戦前後の混乱期である。

アメリカのユダヤ人はすでに都市部で富裕層となっており、入植を斡旋したり、入植者に資金面での援助を行ってきた。ナチス・ドイツ時代や、第二次世界大戦後にはさらに入植者が増えた。そのため、ユダヤ人とアラブ人との間で軋轢が多くなり、国家像としては連合国家案より分割案が有効とみなされるようになり、国際連合の決議に基づき、パレスチナをユダヤ国家とアラブ国家に分割することとなった。しかし、決着は得られず、中東戦争の勃発、イスラエルの独立に至った。4度の戦争を経ても双方の言い分は平行線をたどる。

また、冷戦終結とソビエト連邦の崩壊によって再びユダヤ人の入植が増えている。特にこれらのユダヤ人は、第三次中東戦争でイスラエルが獲得したヨルダン川西岸地区などに入植する場合あり、パレスチナ問題を複雑にしている。

植民地主義
帝国、帝国主義
脱植民地化
植民地独立付与宣言
民族自決
独立戦争
レジスタンス運動
民族紛争
奴隷貿易(大西洋奴隷貿易)
東インド会社、西インド会社、P&O、露米会社
南満州鉄道、東洋拓殖、南洋興発、大日本製糖
スペインによるアメリカ大陸の植民地化:イベロアメリカ首脳会議
アメリカ帝国、中華帝国
ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化、アメリカ大陸諸国の独立年表
アフリカ分割、アジア・アフリカ諸国の独立年表
海外領土・自治領の一覧
南極における領有権主張の一覧
国際連合非自治地域リスト

2009年01月15日

未確認動物としての河童

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河童は未確認動物であるという考え方もある。この視点で見る河童には人間や猿と酷似する種類(哺乳類)と巨大な蛙のような種類(両生類或いは爬虫類)等が存在するらしく、どの種類も背丈は30センチメートルから150センチメートル程度であり、成人した人間を超えることはない。河童の伝承の数だけ全く異なる未知の水棲生物が存在していた可能性も捨てきれない(またそれらが既に絶滅寸前のニホンカワウソと同じ環境に生息している事実は河童もまた絶滅種もしくは絶滅寸前なのかもしれない)。

また爬虫類形態は昭和頃の目撃例では皿や甲羅がない個体が多く、宇宙人の典型的外形となったグレイと酷似する為、目撃者がグレイと誤認したのではないかと見られる事例が「新耳袋」に掲載されている。河童はアメリカのドーバーデーモンや蛙男、チュパカブラ、またアクア説の渚原人とも特徴が類似している。

尚、人間の尻小玉を抜いたり、牛馬を狂わせたりするといわれるような行動についてはUMAでいう河童では分かっていない。茨城県牛久市では河童の目撃情報があり、警察が駆けつけると水銀を含んだ河童の足跡と見られるものが残っていた。江戸時代の書記などにも目撃談が記されている。

河童に纏わる言葉
「河童の川流れ」
河童は泳ぎが得意であることから、物事に長けている人でも失敗することがあるという意。
「屁の河童」
河童はいつも水の中にいるため、屁をしてもあまり勢いがないことから、「取るに足りないこと」を「河童の屁」、後に語順が変わった。「木っ端の火」から来たという説もある。
「陸(おか)へ上がった河童」
河童は水中では能力を十分発揮できるが、陸に上がると力がなくなるとされるところから、力のある者が環境が一変するとまったく無力になってしまうことのたとえ。

河童を題材とした作品

文学
芥川龍之介『河童』
火野葦平『石と釘』
草野心平『河童と蛙』

漫画
水木しげる『河童の三平』
石川優吾『カッパの飼い方』
清水崑『かっぱ天国』
花輪和一『天水』
鈴菌カリオ 『Sillyなコダマ!!』

TV番組
河童の三平 妖怪大作戦(東映)
『かっぱまき』
まんが日本昔ばなし『河童のくれた妙薬』『河童の雨乞い』『かっぱ地蔵』

映画
『河童 KAPPA』(石井竜也監督)
『大巨獣ガッパ』(日活)
『河童のクゥと夏休み』(原恵一監督)
『河童』(秋原正俊)
『プレデター (架空の生物)』河童を扱ったものではないが、日本の河童のイメージを受けていると思われる形態をしている。

CM
黄桜:清水崑(初代)、小島功(二代目)原画によるアニメーション
キンチョウリキッド(大日本除虫菊):山瀬まみが河童の着ぐるみで出演
ソフレ(ツムラ):篠原涼子が河童のパペットと掛け合い。
DCカード:中井貴一が河童、タヌキの着ぐるみと掛け合い。

キャラクター
カータン:フジテレビ系列で放送された幼児番組「ママとあそぼう!ピンポンパン」にでていた着ぐるみ。大竹宏が演じた。
カッパ、かぱちゃん:アランジアロンゾのキャラクター。
となりのカッパさんち。:サンリオのキャラクター。
いまだにものごいかっぱ:有限会社ハンディが製作したキャラクター。
かっぱ君:漫画「伝染るんです。」に登場するかわうその友達。
かっぱ河太郎:合羽橋道具街にある像。
カッパ姫、カッパ王子、カッパ侯爵、カッパたん:ゲーム「ごきんじょ冒険隊」に登場するキャラクター(カッパ侯爵、カッパたんはモンスターとして登場)。
かっぺい、ぱっぴい:阪急かっぱ横丁のマスコット。
カッペイ(うんてんしゅ):ゲーム「どうぶつの森」のキャラクター。船乗りで「おいでよ どうぶつの森」では運転手として出てくる。
カワワッパ:ゲーム「アヴァロンの鍵」に登場するモンスター。
かりんちゃん:岩手県遠野市のイメージキャラクター。
かっぱ寿司の社名及びキャラクター(カーくん、パー子ちゃん)
村長:漫画「荒川アンダー ザ ブリッジ」で荒川の河川敷の住人に慕われている河童。おそらく着ぐるみ。主人公にそれを指摘されることが何回かあるが、一向に認めようとしない。
かぁたん:漫画「カッパの飼い方」で主人公の「私」が飼っている仔河童。
沼野三太:NHK教育テレビで放送中の人形劇の『バケルノ小学校ヒュードロ組』のキャラクター。堀絢子が演じている。
海老名:『銀魂』に登場した河童のような姿をした天人(宇宙人)。
沙原くぐる・ちょちょ丸姉妹:ぺとぺとさんに登場する。姉妹だが仲が悪い。
竹田くん・メレちゃん・カウカウくん:フラカッパーのキャラクター。
ひまわりっ!のゆすらの彼氏の米澤くん。
ペタンコ カパちゃん:マインドウェイブのキャラクター。
ぱちゃぽ:日本水泳連盟のマスコットキャラクター。
おカッパちゃん:定山渓温泉のマスコットキャラクター。
遠野さん:ながされて藍蘭島のキャラクター
河城 にとり:東方Projectのキャラクター
ノホホ、青木さん:pop'n musicのキャラクター
こっぱ:まめうしくんのキャラクター

音楽
河童ばやし:うしくかっぱ祭りテーマ曲。作詞:中島清治、作曲:福田正、歌:鎌田英一。
かっぱまきマキ:作詞・作曲:TAMAYO、歌:河童巻。
かっぱが川辺でわっしょいしょい:作詞・作曲・歌:蜂谷清香。
芥川龍之介の河童 〜Candid Friend:東方風神録BGM。作曲:ZUN(上海アリス幻樂団)。
河童をどり:作詞・作曲:瞬火、歌:陰陽座。陰陽座の5thアルバム「夢幻泡影」に収録。
河童ブギウギ:作詞:藤浦洸 作曲・編曲:浅井挙曄 美空ひばりのデビュー曲。
河童と蛙:作詞:草野心平 作曲・歌:NUU